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議論が議論にならない本当の理由

      2016/02/05

会議で結論がでないまま、ずるずると終ってしまうことはありませんか?結局、つぎの会議の議題を確認しておしまいってことよくありますよね。そんなときは、時間を無駄にした気持ちになってしまうものですが、いったいなぜこんなことが起こってしまうのでしょうか?
日本人は議論が苦手だといわれてますし、私もそう感じています。では、日本人だからこそよくある問題点を考えてみましょう。

日本人ならではの問題点

私は日本人が議論がへたくそな理由は2つあると考えています。一つ目は、議論する相手との立場が対等でないことです。これは地位や肩書のことだけを指しているわけではありません。議論する相手とのパワー・バランスといったほうがより正確かもしれません。もう一つは、参加者のだれもが議論の進め方をわかっていないことです。そのため、場の空気に流されたり結論を先延ばしにしたりして、会議のための会議になってしまっています。

立場が対等でないから、正しく議論ができない

私の経験上、日本では議論をしようとする場合、議論の場が誰かのアイデアの「欠点探しの場」になっていることがよくあります。また、立場が高い地位にある人や声の大きい人が、自分の経験をベースに結論を急いで断定してしまったり、そんな空気を読んで誰も自由に発言できなくなってしまうこともよくあるようです。議論の場が、アイデアの品評会になってしまっていて、発案者以外は当事者意識のない無神経な発言をするだけの自己アピールの場になっているようでは、これはもはや「議論」ではありません。よく「自由なご意見を…」なんて言葉をいいことに、好き勝手に解釈してなんに対してもダメ出しばかりする人を見かけますが、はっきり言ってそういう人の意見には耳を傾ける必要はないと思います。このような発言が許されている状況では、アイデアの発案者は常に守りの立場に追いやられてしまい、自由な発言が抑制されてしまうでしょう。批判することはとても重要ですが、批判するときには自分も同じ批判をうけるという倫理観が必要なはずです。私は、日本では、(とくに地位の高い立場にある人に)そのような認識がないことが、議論の場をただの品評会に変えてしまっているのだと思います。

では、なんでこんなことが起こるのでしょうか?
それは議論というものが、そもそも「質問→回答→質問」の構図になっているからです。
まず最初にアイデアを思いついた人が自分の説を説明します。つぎにそのアイデアに対して疑問におもった人が、疑問点を聞きます。そして誰かがそのアイデアに対して補足したり解説したりして、次第にアイデアが醸成されていきますが、このとき質問する側は常に強い立場にあります。なぜならば、アイデアを出した人には説明責任がついて回るにも拘わらず、質問する側にはその責任から解放されているからです。このように議論の場では、議題を先に提示した側に説明責任が生まれるので、立場が対等ではなくなるものなので、批判する側には自分が発した批判は自分にも当てはまることを自覚しておかなければ、正しい議論というものはできないものです。
たとえば、学歴社会を批判している学者が、自分の子供には学習塾に通わせ有名大学を受験させようとしていた場合、普通の倫理観をもっている人なら、こんなことすんなり受け入れることはできないはずです。このように、アイデアを出すという行為自体にある種のリスクが生まれのですが、批判する側もそれなりの責任感がないと議論はなりたちません。そして、上司がその立場の違いに気づいていない場合が最悪なのです。
そもそも上司の意見には、反論しずらいものです。誰だって議論のあとの人間関係にしこりを残したくないですから、上司の意見にはそうそう反論することができません。そんな状況で上司が批判する強い立場にいるものだから、いつのまにか「品評会」が蔓延してしまうのです。

議論のしかたを学んでこなかったから、議論の進め方がわからない

ビジネスに限らず日本人の議論では、過去に大きな実績を残した人や声が大きい人の意見が通ってしまうものです。また、いろいろな意見を集めようとして「100点満点病」になってしまうこともよくある話です。このように声が大きい人の意見が通ってしまったり、場のコンセンサスをとろうとしてみたり、多数決に流れてしまいがちになってしまうのは、承認する立場の人間が一人で決断しようとしないから、または決断できないからだと思います。
はっきり言って、多くの人に意見をきいても正しい解は導けません。偉い人はそれがわからないのです。

では、なんでこんなことが起こるのでしょうか?それは、議論の中で正しく情報を集めて、正しく解を求めすぎているからだと思います。また、正しい解を導くには情報が必要だという思い込みと、間違った答えをだしてしまうことに対する不安があるからです。そして、正しい情報は事実とロジックから導き出されるという、間違った迷信が議論を迷走させてしまうのだと思います。このような考え方が大間違いであることは、戦争の歴史や競争の歴史を振り返ればだれでもわかることです。
ではなぜ、そんな迷信がはびこっているのでしょうか?それは、ロジックとレトリックを使い分ける技術が不足しているからです。論理と詭弁の違いがわからないので、論理の飛躍に気づかず、大きな声に流されてしまうのです。
ビジネスに関しては、いくらロジックを学んでも真実は見えてきません。ロジカル・シンキングや論理的思考が重視されるようになってきましたが、あまり重視しすぎるのは危険すぎます。むしろ私は、これからはレトリックを身につけるべきだと考えています。レトリックを学ぶことで、世の中の詭弁が見えてくるようになります。そのなかで詭弁を使うことの危険さを理解して自己制御できるようになって、ようやく日本人は議論が上達する土壌ができていくのだと思います。

理想の議論

ビジネスにおいて、理想の議論とはどういうものでしょうか?私は、かならずしも議論には正しい解をもとめる必要はないと思っています。正しい解をもとめないというのは、すごく乱暴で無責任に聞こえるかもしれませんが、ビジネスにおける議論にいちばん求められることとはいったい何かを考えればおのずとわかるはずです。
目まぐるしく進化する現代の競争環境の中でビジネスにおいていちばん重要なことは、スピードであることは誰も否定できないはずです。
であれば、ある程度の目星をつけて、あとは現場のトライアンドエラーの中で学習する姿勢からこそ、ビジネス上の成功が生み出されるはずです。そのためには、手持ちの情報だけをもとに想定される課題を議論し、そしてリスクをとって解決策を決定するのが本来の議論の場なのではなでしょうか?

私は、日本では多くの企業で本当の議論ができていないと思っています。意思決定すべき立場の人が、議論の場で絶対的な正しさを追求しすぎているため、上であげた満点病にかかってしまい、議論は品評会になりさがっていると思います。コンセンサスを目指している限り、絶対にすぐれたアイデアなど出てきません。品評会から抜け出すには、まず上司自身が部下に質問するのが仕事だと勘違いしている現状をかえていくことが重要です。そして論理的思考に偏重しすぎるのではなく、レトリックを学び、議論上の禁句やルールを身につけることが重要なのではないでしょうか?そのうえで、まず上司がアイデアを出して自分の意思を示し、積極的に自分の立場を批判される弱い立場に置き、職以のうえでは下の立場の部下に意見をださせるように促すことです。これができてはじめて、有益な議論ができる土壌が出来上がるのだと思います。

『レトリックと詭弁 禁断の議論術講座』
 2010/5/10
 著者:香西 秀信

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