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実は事業戦略に必要なのはKKD法(勘 経験 度胸)だよというお話

      2017/11/13

KKD法って何? 勘と経験と度胸で決める方法ですが、何か?

日本にはKKD法という言葉があります。
現在、一般的にKKD法とは、システム・エンジニアがプロジェクトの見積を算定するときに、勘と経験と度胸に頼って金額をはじき出すことを指すようになっていて、たとえば「これまでの経験から考えると、だいたいこれくらいの工数がかかるから、これくらいの金額だよね!」といって見積金額を算出するような感じです。

KKD法はこのようにIT用語としては普及していますが、一般的にも企業での事業の投資判断時などで使われていました。
「このアイデア、なんとなく良さそうだと思うんだ。これまでも、こんな感じでうまく行っていたし、思い切って投資してみよう!」という意思決定方法です。
まるでバクチですね。
こんな書き方をすると、すっごい適当に決めているように思われるかもしれませんが、まさにそれがKKD法と言われる意思決定方法なんです。

誰が考えても、適当にあてずっぽうに決めていたら、うまくいくはずがないと思いますよね。
投資家や銀行からお金を出してもらう場合であれば、なおさらです。絶対出してくれないでしょう。
だから、「KKD法は悪」というのが、いまでは常識になっています。
しかし、私は、「KKD法は悪」が、実はメンタルブロックになっているのではないかと、ずっと思っていました。今回は、事業戦略におけるKKD法は本当に悪なのか?それとも実は、すばらしい意思決定方法なのか?すこし考えてみたいと思います。

KKD法じゃだめなの?意思決定って何?戦略って何?

KKD法というのは先ほどあげたプロジェクトの見積手法でもありますが、もう少し大きな概念で言うと意思決定の手法と言えます。
では、そもそも意思決定って一体何のことでしょうか?
かんたんに言うと、事業や企画の方向性や計画の目的、メリット、実行可能性、採算性といった事柄を判断して、実行するのかどうかを決定する行為です。
では、その意思決定というのは何のために行うのでしょうか?
ビジネスでいうと、お客さまに買ってもらうため、そのために市場でひろく知ってもらうため、ライバル会社に勝つためと言ったことがあげられるでしょう。
こういったことを考えるのが、いわゆる「戦略」です。
意思決定は、大なり小なり、戦略を実行に移すために存在しているということです。

では、戦略はどうやって立てればいいのでしょうか?戦略を立てないことには、意思決定すらできませんよね。
シンプルな質問に見えますが、この質問に答えるのはかなり専門的な知識が必要です。
実は、「戦略」はいまから数千年も前から概念としては存在していましたが、「戦略」という言葉になって普及されはじめたのは、1810年あたりからだと言われています。
1810年というのは、世界史でいうとナポレオンがヨーロッパを席巻していた時代で、「戦略」はヨーロッパの国々が、ナポレオンの強さを分析している過程で形成された言葉だったのです。

そんな戦略ですが、研究がすすむうちに、ナポレオンの強さの分析から導き出された「戦略のあるべき姿」に対する意見が、大きく二つに分かれてしまいました。
つまり、戦略とは相手に勝つための方法のことであって、その「マニュアル」は存在するという意見と、必ず勝てるマニュアルなんかあるはずなく、戦略は不安定で流動的な相互作用の中に存在するという意見です。
「マニュアル」派を提唱したのが、常勝フランス軍でナポレオンの補佐官をしていたジョミニという人で、「相互作用」派はフランスにコテンパンに負かされたクラウゼヴィッツというプロイセンの軍人でした。
ちょっと抽象的な言い方なので、わかりにくいかも知れませんが、かんたんに言うと、戦略をジョミニ的な机上のプランとみるのか?それともクラウゼヴィッツ的な現場のヒラメキとみるのか?という議論です。

ここまで読まれれば、なんとなくわかるかもしれませんが、ジョミニ的な机上のプランでは、「計画」が最優先になります。
なにごとも計画ありきで、目的は「場所」や「ポジション」ということです。首都制圧とか橋頭堡の確保といったことですね。
ビジネスで言うと、シェア争いや顧客獲得競争になるでしょうか。
当然、目標は具体的な数字や対象物になりやすく、いったん計画を立てたらなかなか変えることができない特徴があります。
また、戦略は論理的に明確で、目標も明示されやすいので、当然ライバルからもわかりやすくなってしまい、競争はこう着状態になりやすい側面があります。第一次世界大戦の塹壕戦がまさにこの状態でした。
その結果、シェアが固定され価格競争に陥りやすい。ビジネスだったらコモディティ化ですね。

その一方で、クラウゼヴィッツ的な現場のヒラメキでは、「決断」が最優先されます。
計画は決断されたことを実行するために立てられるものであって、目的は「勝利」や「打破」です。戦争だと「フランス軍の殲滅」といった感じです。
ビジネスで言うと、新しい概念やイノベーションによる驚きやインパクトでライバルを圧倒する戦法でしょうか。
したがって、目標は柔軟にころころ変わります。そのため、ライバルからは、一見非合理に見え、目標もまったく違うように見えるので、ライバルが気が付いたときにはすでに圧倒的な差がついているといったこともよく起こります。
その結果、独壇場を築きやすいという特徴があります。

KKD法で決めなくなった今、何が起こっているの?

では、現在の日本の大企業の戦略は、ジョミニ的「机上のプラン」でしょうか?それともクラウゼビッツ的「現場のヒラメキ」でしょうか?

これまでの私の経験上、大企業の新規事業の立案は「計画」が重視されていることが多いようです。
つまりジョミニ的な戦略です。
新規事業に限らず、事業計画、中期経営計画その他の戦略に関する検討でも、かならず計画が重視されています。

では一体なぜ、これほどまでに計画が重視されてきたのでしょうか?
さきほどもすこし言及しましたが、投資家や銀行からお金を出してもらうためには計画が必要だからというのも一つの理由ですが、彼らは計画がしっかりしていれば利益が増えると思うほど単純ではありません。
むしろ融資先の企業との過去の取引関係や、投資する相手の人となりを見て決めているものです。
しっかりとした計画よりも、しっかりとした実績を重視していると言い換えていいかもしれません。

では、なぜ日本の企業は計画を重視しているのでしょうか?
答えは日本の過去の経験にあると考えます。
日本はモノ作りに強い自信を持っているのは、ご存知の通りです。テレビでもさかんに日本製品の性能や品質の高さを誇っていますよね。
日本が得意と言っているモノづくりは、あたりまえですが、電機製品であれ、化学製品であれ、論理的な構造を伴っています。
論理的な構造をもった対象を、反復可能な状態で何度でも同じように作り上げるには、論理的な研究が必要であり、それは計画することとほぼ同じ意味を持っています。

時間的な流れや、材料や部材の流れ、情報の流れ、それらを支えるインフラ。なにごとも「計画」がモノの製造には重要なカギになっているのです。
日本の企業では計画を作成するのに、かなりの工数や労力をかけます。まるで計画を立てること自体が目的であるかのようです。もし計画通りいかなかった場合は「それは計画がちゃんと練れていなかったからだ」という批判になってしまいます。
まさに、ジョミニ的な戦略です。

本来モノを生産するための計画と、戦略を実行するための計画は性質が違うはずですが、日本の場合はそれらの違いがあまり明確ではありません。つまり、新商品計画を戦略と言っていたり、販売計画を戦略とよんでみたりしている大企業がたくさんあるのです。
問題の本質は、このへんにありそうな気がしています。

その証拠に、物理的な商品を生産するに際して、「計画」が事業運営上で最も重要なポイントとなる商品や市場であれば、日本企業はあいかわらず強さを発揮しています。
直接的な強さの源泉が、日本人がモノを組み立てるときに必要なコミュニケーション(すり合わせ、インテグレーションと言います)が得意だからという研究がありますし、日本は単民族国家なので、すり合わせに必要なコストが少ないという研究もあります。
そういった理由から、日本のモノ作りの代表選手である自動車産業は、あいかわらず強いのです。

でも、長所は短所になってしまい、すり合わせが必要でない商品は弱い状態が続いています。
たとえば、デジタル製品がそれです。
デジタル製品は、部品や部材の仕様さえ決まっていれば、あとはデジタル上できまった規格(モジュール)によって簡単に組み立てることができるので、すり合わせに必要な工数やコストが圧倒的に低くなります。
そのため、PCや家電、半導体といったデジタル化がすすんだ市場では、日本企業のシェアが落ちているのです。(モジュール化)
デジタル化がすすんだ市場では、今後も日本のすり合わせによる優位性はなくなっていくはずです。
また、物理的な商品ではないサービス業も、海外ではそれほど日本は強くありません。
すり合わせ能力や計画通りサービスを提供する能力が、差別化になりにくいからなのかもしれません。

実はこういった議論は、いまから数10年前からされていましたが、いまだにうまく方向転換できていません。
たしかに、ものづくりによって高いシェアを築いてきた大企業にとっては、計画は生命線でした。しかし、これまでも、このやり方でうまく行っていたんだから、という惰性で「計画」がいまだに最重視されているような気がしています。
すり合わせ能力が日本の文化や人種的な特徴に依存しているところもあるので(甘えの文化)、簡単には方向転換できない性質であることもありますが、これまでの優位性に対する過去への固執や、「戦略」に対する無理解も少なからずあるはずです。
すり合わせ能力以外で、日本が勝てる戦略を考えることが重要だと思います。

なぜKKD法で決めなくなってしまったの?

こういった計画重視の性格は、明らかに「見えるもの」を重視しようとするので、意思決定上「勘」や「経験」、「度胸」といった要素を排除しようとします。
冒頭でも述べたとおり、「このアイデア、なんとなく良さそうだと思うんだ。これまでも、こんな感じでうまく行っていたし、思い切って投資してみよう!」という、あてずっぽうで適当な意思決定方法だったら、どんな企業だってうまく行くわけがありません。
お金の無駄遣いですよね。

そういったことから、今ではプロジェクトの見積算定手法以外ではKKD法はほとんど使われなくなりました(実際には使われていると思いますが・・・)が、さらに計画や合理性を重視した意思決定に拍車をかけた出来事がありました。
それがバブルの崩壊です。
経営危機に陥った日本企業が、アメリカの戦略手法を真似しようとしたことから、より緻密に正確に計画を立てようとしたことで、さらに火がついたのです。
当時、リストラ以外に注目を集めていたのは、BPR(ビジネス・プロセス・リエンジニアリング)や、ベンチマーキングによるSCM(サプライチェーン・マネジメント・システム)といった情報システムのインフラ構築であったり、SWOT分析PEST分析マーケティング・ミックスの4P分析といった、分析手法を活用した戦略立案でした。

こういった手法をとりさえすれば(または取ることで)、危機を脱出できると考えた企業は、ありとあらゆるフレームワークを使って、市場環境の分析や競争優位性の分析などを進めました。
その結果、事実に基づき、論理的で、強みを生かして、弱みを付け込まれないような、完璧な事業計画書を基に、意思決定を行うようになったのです。
クラウゼヴィッツ的KKD法との決別でした。

しかしこれらの手法は、すべてジョミニ的な机上の戦略立案手法です。
BPRやSCMは確かにコスト削減に貢献できたかも知れませんが、はたして事業戦略に本当に貢献できたかどうかは不明です。
また、フレームワークがどの程度事業戦略に貢献できたのも、よくわかっていません。
フレームワークを使えば、最適な決断ができるようになると言うのは、はっきり言ってとても都合の良い幻想に過ぎません。

残念ながら、こういった手法からはイノベーションは起きませんでした。
むしろ、分析の手法やフレームワークを提供したアメリカで市場を席巻することになったイノベーションは、結局ジョミニ的な戦略からではなく、すべてクラウゼヴィッツ的な戦略から生まれたものばかりでした。
クラウゼヴィッツ的な戦略とは、現場の不確実性を受け入れたうえで、計画よりも先に決断することを優先する考え方です。
現実の世界で起こっていることをしっかりと見つめて、その状況を打開する最適な手法を天才的なひらめきで打開する考え方です。
アメリカではこのようなクラウゼヴィッツの戦略に基づいて、起業家自身の体験と現実に巻き起こっている市場からニーズを見つけ、過去の成功企業のケーススタディを学習することでまったく新しいサービスが次々と生み出されていきます。

APPLEのiMACによる復活から、iPhoneでの成功。amazon.com、Google、Facebookの隆盛。UBERやAirbnbなどの新カテゴリ創造。
これらのイノベーションは、すべて「計画」から起こっているのではなく、ヒラメキから生まれたものばかりです。

iPodで大逆転劇を演じたAPPLEのスティーブ・ジョブスがSONYにあこがれていたのも有名な話です。
amazon.comのジェフ・ベソスがひらめいたビジネスモデルを紙ナプキンに書き留めたことは有名な話です。
Googleのラリー・ペイジが、学術文献の引用のしくみからページランクをひらめいたのも有名な話です。
UBERは、スマホをいじりながらタクシー待ちをしていたときにアイデアをひらめいたのも有名な話です。

これらの新規事業は、決して緻密な計画やフレームワークからは生まれませんでした。
では、これらの新規事業はどこから生まれているかと言うと、それがKKD(勘 経験 度胸)ではないかというのが、私の主張なのです。

クラウゼヴィッツ的KKD法の復権が求められている?

今の日本はジョミニ的机上のプラン戦略にのっとって「計画」を重視しているため、袋小路に追い詰められています。
私は、大企業の意思決定で分析と計画があまりにも重視されすぎているため、機動性がなくなってしまい、事業が予定調和を起こしているような気がしてなりません。
はっきり言って、計画ありきのジョミニ的な戦略では、もう勝てないことが明らかです。
すでに、ジョミニ的な戦略を捨て、クラウゼヴィッツ的な戦略を改めて見直す時期に来ているのです。

もちろん、KKD法で意思決定すると言っても、それは計画をしなくていいということではありません。
計画は決断の後に来ると言っているだけです。
もっと言えば、決断は計画の出来・不出来で行われるのではなく、あくまでも現場の視察と過去の経験、そして大量の疑似体験をベースにするべきだということです。
また、論理的でなくてもいいということでもありません。
論理は、決断を十分には支えることはできないと言っているだけです。
論理的な決断を重視しすぎると、一見不合理な行動に対しては無力になってしまうことがあるということです。

『戦略は直観に従う』と『ナポレオンの直観』の著者であるウィリアム・ダガン教授によると、クラウゼヴィッツ的戦略では、過去の事例の詰め込みと個人的な現場体験こそが、ヒラメキが産まれるための必要条件だとしています。
つまり、自分が置かれた状況と似たような状況で成功した、過去の賢人たちの行動を大量に疑似体験し、個人的に実際の現場で体験して得られた知見を、目の前で現実に起きている出来事と融合させることによって、すぐれた「直観」が生まれると言うのです。その融合するタイミング、つまり「直観」が起こるタイミングは誰にもわかりません。したがって、融合してアイデアがひらめくまで、じっと待つことができる忍耐強さが決め手なのです。
つまり、これまでの「あてずっぽう」的なKKD法との大きな違いは、圧倒的な量の過去の事例研究の存在と、現実に起こっている状況と自分の経験則を照らし合わせて、時間をかけてアイデアがひらめくことをじっくりと忍耐強く待つ姿勢があるかどうかでしょう。

これまでのKKD法との大きな違いは、圧倒的な量の過去の事例研究の存在と、現実に起こっている状況と自分の経験則を照らし合わせて、時間をかけてアイデアがひらめくことをじっくりと忍耐強く待つ姿勢があるかどうか

ここで、私たちはKKDを「勘=適当」「経験=過去のしがらみ」「度胸=あてずっぽう」ではなく、「勘=直観」「経験=ケーススタディ(疑似体験)」「度胸=決断力(忍耐力)」と捕らえなおす必要があるのです。
つまり、適当な思いつきを、過去のしがらみに頼って、あてずっぽうに決めるのではなく、圧倒的な疑似体験と現状認識からくる直観をもとに決断することが求められているのです。

そう考えると、組織をひっぱるリーダーや意思決定者が、みずから現場に足を運ぶことも収集すべき事例研究もしないで、専門家の意見ばかりを聞こうとするのはもっとも避けなければならないことです。
もしリーダーがコンサルタントとかその道のプロの意見に頼ったり、彼らの意見を自分の意見のようにしたがっているようであれば、かれの戦略家としての能力を疑ってみたほうがいいでしょう。

イノベーションが叫ばれているビジネスシーンですが、イノベーションは計画的に生まれることはまれです。
シュンペーターが唱えた「新結合」とは、多くの既存の技術や知識の組み合わせによってのみ、生まれるのです。
ジェームスヤングが有名な『アイデアの作り方』で述べている通り、アイデアは情報を大量に仕入れ、噛み砕き、組み合わせることで生まれるのです。
その組み合わせを促進させ、醸成させるのは、あくまでも戦略立案者の頭の中で行われるのであって、机上の計画やフレームワークから生まれるのではありません。
ジョミニ的戦略にもとづいた机上の計画とフレームワークからではなく、クラウゼヴィッツ的戦略にもとづいて大量の疑似体験と現場体験から直観を生み出すことこそ、すぐれた戦略の近道なのです。
イノベーションが叫ばれている今だからこそ、事業戦略におけるKKD法を再評価する時が来ているのだと思います。

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